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「総合解説」アーカイブ
“塩漬けアンチョビ/acciughe sotto sale”
『2012年4月号』
記事:塩漬けアンチョビ雑誌:『sale & pepe』
↑
超簡単。アンチョビとパン粉のスパゲッティ
アンチョビをソッフリットにしたオリーブオイルでパスタをあえ、こんがりトーストしたパン粉を散らす。
2017/12/01
塩漬けアンチョビの一番シンプルな食べ方は、
前菜としてオリーブオイル、にんにく、オレガノのソースをかけて食べる
アンチョビのリグーリア風(acciughe alla ligure)だ。
最低30分は休ませて、トーストしたパンを添える。
塩漬けアンチョビは万能で、ソースの風味づけにも活躍する。
ピエモンテのバーニャ・カウダに欠かせないサルサ・ヴェルデといった伝統的なものから、
バターと一緒にミキサーにかけてパンやカナッペに塗ってもよい。
パスタソースに加えても美味しい。
にんにく、オリーブオイル、唐辛子のソース、
炒めたパン粉とブロッコリー、煮た玉ねぎ(ビーコリのヴェネト風)、
トマト、にんにく、オリーブ、ケッパーなどに。
(続)
↑
リグーリアのラ・スペツィアの港に水揚げされたアンチョビ。
2017/11/29
アンチョビ(4月から10月の間に水揚げされた長さ12〜20pのヨーロッパカタクチイワシEngraulis encrasicolus)は、
柔らかくて締まった身で、濃いピンク〜茶色をしている。
水揚げから12時間以内に手作業で下処理して栗の木の樽かテラコッタの壺に放射状に並べながら海塩で覆って重ねていく。
重石を載せたら40〜60日間熟成させる。
この間、出てきた最初の汁を塩水に変える。
これをガラスの筒型の瓶に移して製品のでき上がり。
食べる時は流水にさらして塩抜きし、
開いて骨を取り、水気をふき取る。
(続)
2017/11/28
ことの発端は、ピエモンテ料理。
ピエモンテ料理の本は、aから始まる前菜、
つまりacciughe al verde(アンチョビのグリーンソース)で始まることが多い、
ということを発見して、海のない州のアンチョビ料理が気になっていたのでした。
ところが、次にbから始まるピエモンテの前菜を訳そうとしたら、
その料理は、バーニャ・カウダ、だった訳です。
ご存知の通り、にんにくとアンチョビがベースのソースです。
ピエモンテ人、どんだけアンチョビが好きなんだ。
どうやらピエモンテ料理を知るには、アンチョビのことを知る必要があるみたいです。
そこで過去のアンチョビの記事を探してみました。
まずは2012年4月号の記事をどうぞ。
塩漬けアンチョビは、何世紀も昔から、
リグーリアの海からピエモンテの山を越えてランゲやモンフェッラート、
ミラノへと運ばれて取引された。
大部分はクーネオ県のヴァル・マリア地方で、
農閑期の副業として取り入れられた。
現在はワゴンを引いての行商は見られなくなったが、
この地方で「pan do mà海のパン」と呼ばれたアンチョビは、
代々各家庭で受け継がれてきた伝統的な製法で、手作りで塩漬けにされている。
IGP製品で、ラベルには『リグーリア海のアンチョビの塩漬けAcciughe sotto sale del Mar ligure』と記されている。
(続)
“フェリーノサラミ/il salame Felino”
『2005年11月号』
記事:フェリーノ・サラミ雑誌:『Cucina & Vini』
↑
左はフェリーノ・サラミ、中央はミラノ、右はカッチャトーラ。
似ているようでも風味は違う。
フェリーノは一番甘口でマイルド。
2017/11/17
肉はまず、−1℃で乾かしてから余分な部分を取り除き、挽く。
これに塩、粒こしょう、白ワイン少々を加える。
ワインにはにんにくのみじん切りをガーゼに包んで潰してから一晩漬けておく。
翌日、ガーゼごと取り除くので、フェリーノサラミ特有のマイルドな風味になる。
これを腸に詰めて、低温や高温で乾燥させる。
高温乾燥のサラミは香りが一段と高まるという。
乾燥は、13〜22℃で平均5日ほど続き、肉は最初の重さより15%軽くなる。
次は熟成だ。
これは絶えず湿度を管理しなくてはならないデリケートな作業で、室温は11〜15度に保つ。
窓を開けたり閉めたりして空気を循環させ、24〜60日かけてゆっくり乾燥させる。
この間にサラミは天然のカビで覆われていく。
昔は12月か1月にサラミを作り、それが食べられるようになるのは8月だった。
当時は今よりかなり太い腸を使っていたので時間もかかり、硬いサラミが好まれていた。
現在のフェリーノサラミは柔らかさと甘みが特徴だ。
(終)
2017/11/15
フェリーノサラミは重さ130s以上のイタリア産豚から作られる。
パルマやサン・ダニエーレの生ハムになるのと同じ系統の豚だ。
使う赤身の部位は“ソットスパッラ”と呼ばれる肩肉で、1頭から1.5〜2s取れる。
これに腹の赤身の部分を加えることもある。
この部位を使ったサラミはとても柔らかいのが特徴で、うで肉などの部位を加えた他のサラミと比べると、その柔らかさがよく分かる。
(続)
“フェリーノサラミ/il salame Felino”
『2005年11月号』
記事:フェリーノ・サラミ雑誌:『Cucina & Vini』
↑
フェリーノサラミ、ドライいちじく、ペコリーノの盛り合わせ
2017/11/14
パルマの洗礼堂の内部には、フェリーノサラミによく似たものが描かれている。
これがこのサラミの最も古い痕跡と言われている。
フェリーノはパルマから18q離れた場所にある町だ。
城にはフェリーノ・サラミの博物館(www.museodelsalamefelino.org)も併設されている。
16世紀から18世紀にかけてパルマを治めたファルネーゼ家やブルボン家の食卓には、
フェリーノで作られたサラミが欠かせなかったはずだ。
当時このサラミは生ハムより高く評価されていた。
フェリーノサラミの製法は19世紀初めに確立された。
20世紀になると辞書に“サラミ・ディ・フェリーノ”という言葉が登場する。
1927年には市場価格表にも載り、それ以来、パルマ県の代表的な産物として全国に認知されるようになっていく。
(続)
“マッケローニ・アッラ・キタッラ”
『2005年4月号』
記事:Maccheroni alla chitarra雑誌:『Sale & pepe』
↑
スパゲッティ・アッラ・キタッラ
2017/11/08
マッケローニ・アッラ・・キタッラの原型は、手打ちの太いスパゲッティを、
子羊と野菜の旨みがたっぷりソースであえたアブルッツォの古いパスタだ。
アブルッツォのパスタは、パスタ打ち名人の女性たちによって作り出される。
サーニェ、ラガーネ、ラガネッレ、スクリッペッレ、ストレンゴッツェなど様々なパスタがあるが、
一番有名なのは、このマッケローニ・アッラ・キタッラだろう。
硬質小麦粉と卵の麺をやや厚めに伸ばし、“キタッラ”でカットした断面が四角いスパゲッティは、
表面がざらざらしている。
定番の子羊のソースを絡めるのには最適の状態だ。
元々はマイエッラ山地の農民が昔から作って料理だが、
今ではアブルッツォの祝日には欠かせない1品となっている。
子羊肉は、肩や首など軟骨が多い部位が適している。
煮込むうちにこの軟骨が溶けて、コクのあるソースになる。
使う前に余分な脂身と筋を取り除く。
アブルッツォでも海沿いの地域では、このパスタに魚のソースをかける。
(リチェッタの動画)
“トラーパニ風クスクス”
『2015年7月号』
翻訳書籍:『1001スペチャリタ・デッラ・クチーナ・イタリアーナ』↑
トラーパニ風クスクス
2017/11/07
ヌビアの赤にんにくの話をしたので、今日はこのにんにくを使うイタリア料理の話。
ヌビアはトラーパニの近くにあります。
という訳で、お題はトラーパニの名物料理、トラーパニ風クスクス。
クスクスとは硬質小麦のセモリナ粉がベースの料理で、粉を水とオイルでこすりながらこねる。
一説によると語源はセモリナ粉をクスクス鍋で蒸す時の音を言葉にした擬音語。
クスクスは、北アフリカとイタリアはシチリア西部に広まった料理。
魚のクスクスは、トラーパニの名物料理のピアット・ウニコで、典型的なシチリア料理とみなされている。
トラーパニのあるシチリア西部はチュニジアやリビアと結びつきが強いが、
北西アフリカのクスクスと違って、トラーパニのクスクスは魚がベースなのが特徴。
“ヌビアの赤にんにく”
『2004年2月号』
記事:aglio toddo fi Nubia雑誌:『la cucina italiana』
↑
ヌビアの赤にんにく
2017/11/05
先日、ブログで風味がデリケートなことで有名なヴォギエーラのにんにくを紹介したので、
にんにくつながりでもう一品。
記事は2004年のものですが、一時は消滅の危機にあったものの、
2009年には協同組合もできて、現在はDOPの承認待ち。
ヌビアは、トラーパニの南にあるパチェーコいうコムーネの村だ。
赤にんにくは、この一帯と、エリチェやマルサラ周辺の約20軒の生産者によって作られている。
香りがとても強く、赤い色は、実の内側ほど濃い。
にんにくの香りや味の元になるのはアリシンと呼ばれる物質で、これが赤にんにくにはたっぷり含まれている。
この地方の畑は西向きなので、日光が当たる量が少ない。
それがこのにんにくの性質によく合っていた。
(続)
“ジェノヴァ”
『2004年2月号』
記事:Genova雑誌:『la cucina italiana』
↑
パラッツォ・サン・ジョルジョ ジェノヴァ
2017/11/04
・・・海に面したパラッツォ・サン・ジョルジョは、かつて、その牢獄にマルコ・ポーロがとらえられていた。
彼がここで語った話が、後にベスト・セラーになった『東方見聞録』だ。
この建物には、サン・ジョルジョ銀行というヨーロッパでも初期の銀行の本部が置かれていた。
パラッツォ・サン・ジョルジョの近くに、昼時になると行列ができる店がある。
揚げたての小魚を紙袋に入れて売る、アンティカ・フリッジトリーア・カレーガだ。
現在の店主は4代目。
揚げ物には炭火を使うが、かまどでは薪をくべてファリナータを焼いている。
“ローマのトラットリア”
『2002年10月号』
記事:Trattoria alle romana雑誌:『Viaggi e Sapori』
その5(2017/11/03)
トラステーヴェレに行けば、昔の映画に出てくるような、ギターやアコーデオンの音が流れる中、
路地に並べたテーブルの間を、耳に鉛筆を挟んだ主人がのんきに山盛りのパスタの皿を運んでいる風景がある、
と信じている人には、多少の違いはあるが、“パリス”がお薦めだ。
料理はローマ系ユダヤ料理で、人気のメニューは、フリット(バッカラ、モッツァレッラ、デザート用の羊のリコッタ)、
パスタ・エ・チェーチ(ローマ料理には入るアンチョビが入らない)、干し肉、自家熟成のブレザーオラ、
春の料理のソラマメ、レタス、グアンチャーレのヴィニャローラ。
ワインや食後酒の種類も豊富で、ハスワインはコンティ・セッリストリとオルヴィエート・クラッシコ。
テヴェレ河の右岸に渡って、ジャニコロの丘やヴァチカンを超えると、小さな店、オステリーア・デッランジェロがある。
山盛りのスパゲッティにチーズとこしょうをたっぷりかけたカーチョ・エ・ペペは、町で一番美味しいと評判だ。
(終)
その4(2017/11/01)
ラ・カンパーナは1518年の記録にその名が登場するほど歴史が古い。
さらに、ローマで一番のアーティチョークのユダヤ風を出す店としても知られている。
ローマ産に代わってフランス産が出回る夏の間でも、
この店のアーティチョークは、外はカリッと揚がり、中は柔らかい。
チェリーのシーズンには、煮たチェリーとレモンのジェラートが食事を締めくくる。
ハウスワインはモンテプルチャーノ・ダブルッツォだ。
マトリチャネッラは、ローマの中心部のレストランは観光客向けだけではない、と言うとを強く主張している店だ。
主人に料理を教えたのは、ディ・ピエトロ(ピラミデ地区にある
ロスティチェリーア・ピッツェリーア・ラットリアで、スップリが有名)を経営する叔父だ。
店の名物のローマ風フリットは野菜の盛り合わせで、ピーナッツ油で揚げているのにても軽い。
曜日ごとに決まっているメニューもあり、水曜日は子羊の内臓料理、木曜日はニョッキ、土曜日はトリッパを出す。
アマトリチャーナ(にんにくも玉ねぎも絶対に入れない)は毎日ある。
ユダヤ料理の小イワシのチコリ添え、エイのミネストラ、ストラコット、バッカラ、リコッタのトルタなども出している。
ワインはフラスカーティ、シャトー・ディケム、ニュージーランドワインなどが一列に並んでいる。
(続)
(2017/10/30)
このコーナーは過去の「総合解説」の記事を紹介しているのですが、
今日はちょっと横道にそれて、未来の「総合解説」の記事からピックアップです。
ネタ元は、上でも紹介している最近入荷したネタの宝庫でお気に入りの本、
『1001スペチャリタ・デッラ・クチーナ・イタリアーナ』から、
シチリア料理の“フルッタ・ディ・マルトラーナ゜についてです。
来月の「総合解説」にはシチリア料理のリチェッタとうんちくを載せているのですが、
このドルチェのうんちくの中に、こんな文章が・・・
「フタルッタ・ディ・マルトラーナは、伝統的には11月2日の死者の日に作る。
11月1日の諸聖人の日の夜から2日の夜まで、死者が生者に会いに、
子供への土産の菓子を持って現世にやって来ると信じられていた。
そのお返しにと、この、死とは対照的な賑やかでカラフルなドルチェを作ったのだった」
おや、これは死者の日をハロウィンとしてもすんなり納得しそう。
そういえば、死者の日は、別名万霊節。
ハロウィンじゃないですか。
あれ、でもハロウィンはアングロサクソンの伝統と見なしてあまり盛り上がりは見せないイタリア。
そもそも宗教儀式じゃないし。
ハロウィンの由来をちょっと調べただけでも、出てくる出てくる、カトリックとプロテスタントの意見の相違、永遠のライバル感。
どっちも関係ない日本から見ると、諸聖人の日がハロウィン直後の11月2日というのは、
ちょっと間が悪かったなー、誕生日がクリスマスとかぶったみたい。
ぐらいの感想ですが、カトリックから見ると、異教の祭りを潰すためのプロテスタントの陰謀だ、という物騒な話にまでなっちゃうんですねー。
今日を逃すと1年先まで見向きもされない話になりそうだったので、
ローマのトラットリアの話の間にむりやり詰め込んでみました。
その3(2017/10/29)
テヴェレ河をはさんだテスタッチョの対岸には、中庭のつる棚の下にテーブルが並ぶ“ダル・コルダーロ”という店がある。
ポルタ・ポルテーゼの近くだ。
主人は客一人一人の名前をきいて、注文を確認していく。
料理はインヴォルティーニのソースのスパゲッティ、ポルペットーネ、コストレッタのフリット、
スコッタディート、たっぷりのペコリーノとメントゥッチャをかけたトリッパ・アッラ・ロマーナなど。
ゲットー地区にある“アル・ポンピエーレ”は、完璧なテーブルセッティング、重厚な装丁のワインリスト、
フレスコ画の描かれた天井、時代物の大理石と言った落ち着いた雰囲気の店。
シェフは肉屋の息子で、内臓のことなら何でも知っている。
「アッバッキオ30頭分の内臓は1s」といったマニアックなことまで詳しい。
彼は、牛の心臓料理のような昔ながらの料理を誰も食べなくなってしまったことを嘆く。
さらに、コーダ・アッラ・ヴァッチナーラに小さじ半杯のビターココアを入れるのは拒否する主義だ。
彼とは逆に、料理のバランスにビターココアは欠かせない、と主張するのは、ローマきっての老舗、
“ラ・カンパーナ”の主人。「オリジナルのリチェッタでは、
尾を牛の頬肉と一緒に煮て、干しぶどうと松の実を加えました。
ローマではスパイスは昔から普及していて、甘酸っぱい味付けも流行っていました」
彼は代々続くローマ料理人の血筋で、ローマの食文化や習慣を正確に受け継いできた。
トリッパも下茹でしたものではなく、生を使う。
トリッパを毎日仕入れるカンポ・デ・フィオーリには、昔はアバッキオを売る店が18軒もあったと言う。
(続く)
その2(2017/10/28)
臓物料理はテスタッチョ地区のオステリアを経由して、ローマの家庭に普及していった。
テスタッチョはアヴェンティーノの丘のふもとにある地域で、以前はここに公営の屠殺場があった。
そのため、この地区には内臓料理を出す店が集まっている。
“ペリッリ”、“ケッキーノ”、“アグスタレッロ”といった老舗に交じって、
“ダ・オイオ・ア・カーザ・ミア”という新しい看板も出ている。
この店は、バルミーロ・トッリアッティ通りにある新しい屠殺場で内臓の卸売りをしている一家が経営している。
料理は、舌とネルヴェッテ(子牛のすね軟骨を型押ししたもの)の前菜、パイアータ・アッラ・カッチャトーラなど、本物ばかり。
隣のアブルッツォ州の影響のアマトリチャーナ(アマトリーチェの町は以前はアブルッツォ州に属していた)や、
ユダヤ人街“ゲットー”の味のブロッコリーのミネストラやエイ料理なども取り入れている。
店の主人はこう語る。
「牛の臓物のテスタッチョ風は脊髄を使っていたんですが、狂牛病問題以来、骨髄が入っているのでメニューからなくしました。
脳みそとアーティヨークのフリットも、子牛の小腸もやめて、代わりにアッバッキオを出していますよ」
(続く)
その1(2017/10/27)
ローマ料理は“臓物料理”と言われる。
屠殺場で働く人たちが、売り物にならない内臓を持って帰り、それを料理したものが、ローマの名物料理として知られるようになったからだ。
貧しく、庶民的で、地元に固執し(ローマ郊外のカステッリ地方より外では味わえない)、
大げさで、あまり上品でないところなど、臓物料理はローマっ子たちとそっくりだ。
ところが、現代人の胃袋は、ハンバーガーや寿司や「健康に良い」食べ物を求めるようになり、
ローマの家庭から、手間がかかって消化に時間がかかり、傷むのも早い内臓料理は消えてしまった。
今や、一部のトラットリアやリストランテだけがローマの伝統を守る砦となっている。
ローマのことを「神の街」と呼んだ作家で映画監督のパゾリーニ(1922〜75)は、
殺される日の昼に(19歳の少年に撲殺された)、彼の祖母が1世紀前に始めたオステリア、
“ポンミドーロ”で食事した。
この店は今もあり、“パスタ・アッラ・グリーチャ”、
ミネストローネ、パイアータのインヴォルティーニ、肉のグリルなどを出している。
“水牛の肉”
記事:La rivincita elbufalo
雑誌:『a Tavola』
“イタリアのマグロ料理”
記事:tonno d'Italia
雑誌:『La Cucina Italiana』
PDFページ
“リジ・エ・ビジ”
記事:risi e bisi
雑誌:『Vie del gusto』
PDFページ
“アッバッキオ・アッラ・ロマーナ”
記事:abbacchio alla romana
雑誌:『Sale & Pepe』
PDFページ
トラステーヴェレに行けば、昔の映画に出てくるような、ギターやアコーデオンの音が流れる中、
路地に並べたテーブルの間を、耳に鉛筆を挟んだ主人がのんきに山盛りのパスタの皿を運んでいる風景がある、
と信じている人には、多少の違いはあるが、“パリス”がお薦めだ。
料理はローマ系ユダヤ料理で、人気のメニューは、フリット(バッカラ、モッツァレッラ、デザート用の羊のリコッタ)、
パスタ・エ・チェーチ(ローマ料理には入るアンチョビが入らない)、干し肉、自家熟成のブレザーオラ、
春の料理のソラマメ、レタス、グアンチャーレのヴィニャローラ。
ワインや食後酒の種類も豊富で、ハスワインはコンティ・セッリストリとオルヴィエート・クラッシコ。
テヴェレ河の右岸に渡って、ジャニコロの丘やヴァチカンを超えると、小さな店、オステリーア・デッランジェロがある。
山盛りのスパゲッティにチーズとこしょうをたっぷりかけたカーチョ・エ・ペペは、町で一番美味しいと評判だ。
(終)
その4(2017/11/01)
ラ・カンパーナは1518年の記録にその名が登場するほど歴史が古い。
さらに、ローマで一番のアーティチョークのユダヤ風を出す店としても知られている。
ローマ産に代わってフランス産が出回る夏の間でも、
この店のアーティチョークは、外はカリッと揚がり、中は柔らかい。
チェリーのシーズンには、煮たチェリーとレモンのジェラートが食事を締めくくる。
ハウスワインはモンテプルチャーノ・ダブルッツォだ。
マトリチャネッラは、ローマの中心部のレストランは観光客向けだけではない、と言うとを強く主張している店だ。
主人に料理を教えたのは、ディ・ピエトロ(ピラミデ地区にある
ロスティチェリーア・ピッツェリーア・ラットリアで、スップリが有名)を経営する叔父だ。
店の名物のローマ風フリットは野菜の盛り合わせで、ピーナッツ油で揚げているのにても軽い。
曜日ごとに決まっているメニューもあり、水曜日は子羊の内臓料理、木曜日はニョッキ、土曜日はトリッパを出す。
アマトリチャーナ(にんにくも玉ねぎも絶対に入れない)は毎日ある。
ユダヤ料理の小イワシのチコリ添え、エイのミネストラ、ストラコット、バッカラ、リコッタのトルタなども出している。
ワインはフラスカーティ、シャトー・ディケム、ニュージーランドワインなどが一列に並んでいる。
(続)
(2017/10/30)
このコーナーは過去の「総合解説」の記事を紹介しているのですが、
今日はちょっと横道にそれて、未来の「総合解説」の記事からピックアップです。
ネタ元は、上でも紹介している最近入荷したネタの宝庫でお気に入りの本、
『1001スペチャリタ・デッラ・クチーナ・イタリアーナ』から、
シチリア料理の“フルッタ・ディ・マルトラーナ゜についてです。
来月の「総合解説」にはシチリア料理のリチェッタとうんちくを載せているのですが、
このドルチェのうんちくの中に、こんな文章が・・・
「フタルッタ・ディ・マルトラーナは、伝統的には11月2日の死者の日に作る。
11月1日の諸聖人の日の夜から2日の夜まで、死者が生者に会いに、
子供への土産の菓子を持って現世にやって来ると信じられていた。
そのお返しにと、この、死とは対照的な賑やかでカラフルなドルチェを作ったのだった」
おや、これは死者の日をハロウィンとしてもすんなり納得しそう。
そういえば、死者の日は、別名万霊節。
ハロウィンじゃないですか。
あれ、でもハロウィンはアングロサクソンの伝統と見なしてあまり盛り上がりは見せないイタリア。
そもそも宗教儀式じゃないし。
ハロウィンの由来をちょっと調べただけでも、出てくる出てくる、カトリックとプロテスタントの意見の相違、永遠のライバル感。
どっちも関係ない日本から見ると、諸聖人の日がハロウィン直後の11月2日というのは、
ちょっと間が悪かったなー、誕生日がクリスマスとかぶったみたい。
ぐらいの感想ですが、カトリックから見ると、異教の祭りを潰すためのプロテスタントの陰謀だ、という物騒な話にまでなっちゃうんですねー。
今日を逃すと1年先まで見向きもされない話になりそうだったので、
ローマのトラットリアの話の間にむりやり詰め込んでみました。
その3(2017/10/29)
テヴェレ河をはさんだテスタッチョの対岸には、中庭のつる棚の下にテーブルが並ぶ“ダル・コルダーロ”という店がある。
ポルタ・ポルテーゼの近くだ。
主人は客一人一人の名前をきいて、注文を確認していく。
料理はインヴォルティーニのソースのスパゲッティ、ポルペットーネ、コストレッタのフリット、
スコッタディート、たっぷりのペコリーノとメントゥッチャをかけたトリッパ・アッラ・ロマーナなど。
ゲットー地区にある“アル・ポンピエーレ”は、完璧なテーブルセッティング、重厚な装丁のワインリスト、
フレスコ画の描かれた天井、時代物の大理石と言った落ち着いた雰囲気の店。
シェフは肉屋の息子で、内臓のことなら何でも知っている。
「アッバッキオ30頭分の内臓は1s」といったマニアックなことまで詳しい。
彼は、牛の心臓料理のような昔ながらの料理を誰も食べなくなってしまったことを嘆く。
さらに、コーダ・アッラ・ヴァッチナーラに小さじ半杯のビターココアを入れるのは拒否する主義だ。
彼とは逆に、料理のバランスにビターココアは欠かせない、と主張するのは、ローマきっての老舗、
“ラ・カンパーナ”の主人。「オリジナルのリチェッタでは、
尾を牛の頬肉と一緒に煮て、干しぶどうと松の実を加えました。
ローマではスパイスは昔から普及していて、甘酸っぱい味付けも流行っていました」
彼は代々続くローマ料理人の血筋で、ローマの食文化や習慣を正確に受け継いできた。
トリッパも下茹でしたものではなく、生を使う。
トリッパを毎日仕入れるカンポ・デ・フィオーリには、昔はアバッキオを売る店が18軒もあったと言う。
(続く)
その2(2017/10/28)
臓物料理はテスタッチョ地区のオステリアを経由して、ローマの家庭に普及していった。
テスタッチョはアヴェンティーノの丘のふもとにある地域で、以前はここに公営の屠殺場があった。
そのため、この地区には内臓料理を出す店が集まっている。
“ペリッリ”、“ケッキーノ”、“アグスタレッロ”といった老舗に交じって、
“ダ・オイオ・ア・カーザ・ミア”という新しい看板も出ている。
この店は、バルミーロ・トッリアッティ通りにある新しい屠殺場で内臓の卸売りをしている一家が経営している。
料理は、舌とネルヴェッテ(子牛のすね軟骨を型押ししたもの)の前菜、パイアータ・アッラ・カッチャトーラなど、本物ばかり。
隣のアブルッツォ州の影響のアマトリチャーナ(アマトリーチェの町は以前はアブルッツォ州に属していた)や、
ユダヤ人街“ゲットー”の味のブロッコリーのミネストラやエイ料理なども取り入れている。
店の主人はこう語る。
「牛の臓物のテスタッチョ風は脊髄を使っていたんですが、狂牛病問題以来、骨髄が入っているのでメニューからなくしました。
脳みそとアーティヨークのフリットも、子牛の小腸もやめて、代わりにアッバッキオを出していますよ」
(続く)
その1(2017/10/27)
ローマ料理は“臓物料理”と言われる。
屠殺場で働く人たちが、売り物にならない内臓を持って帰り、それを料理したものが、ローマの名物料理として知られるようになったからだ。
貧しく、庶民的で、地元に固執し(ローマ郊外のカステッリ地方より外では味わえない)、
大げさで、あまり上品でないところなど、臓物料理はローマっ子たちとそっくりだ。
ところが、現代人の胃袋は、ハンバーガーや寿司や「健康に良い」食べ物を求めるようになり、
ローマの家庭から、手間がかかって消化に時間がかかり、傷むのも早い内臓料理は消えてしまった。
今や、一部のトラットリアやリストランテだけがローマの伝統を守る砦となっている。
ローマのことを「神の街」と呼んだ作家で映画監督のパゾリーニ(1922〜75)は、
殺される日の昼に(19歳の少年に撲殺された)、彼の祖母が1世紀前に始めたオステリア、
“ポンミドーロ”で食事した。
この店は今もあり、“パスタ・アッラ・グリーチャ”、
ミネストローネ、パイアータのインヴォルティーニ、肉のグリルなどを出している。
“水牛の肉”
『2002年1月号』
記事:La rivincita elbufalo雑誌:『a Tavola』
水牛の肉は脂肪が少なくてとても柔らかい。
牛肉や子牛肉と比べると、栄養価はもっと高く、脂肪分は少なく、鉄分がより多く含まれている。
ナポリ大学の調査によると、運動選手、お年寄り、子供に適した食材とされている。
水牛の肉は古代ローマ時代から食べられていたが、ここ数十年はすっかり忘れ去られていた。
その一方で、水牛のミルクから造られるモッツァレッラは、引く手あまたの人気者だ。
モッツァレッラ造りに必要なのは雌の水牛だけなので、雄は、繁殖用に選ばれた幸運なもの以外は、生まれるとすぐに殺されてしまう。
水牛の肉を食べたいと思っても、手に入るのは、年を取って仕事を終えた雄の水牛の元気のない肉だけだった。
そのような状況が変わったのは、ナポリ大学の獣医学部の指導と、EUやカンパーニア州の投資で、水牛の肥育事業が近代化されたおかげた。
水牛は、生後約14〜15月齢になって、体重が400sになったものだけを肉にするようになった。
餌も、ミルク用の雌とは違って肉用の雄には小麦や薬草を、半分放し飼いの状態で与える。
元々水牛は野生の状態を好むので、人間がコントロールしにくい動物だ。
水牛肉は牛肉とまったく同じように調理することができる。
ただしわずか2万頭、肉にして6000トンという生産量では、イタリア国内の肉の消費量の0.01%にしかならない。
そのため値段は1sあたり最低15.5ユーロと高価だ。
牛肉や子牛肉と比べると、栄養価はもっと高く、脂肪分は少なく、鉄分がより多く含まれている。
ナポリ大学の調査によると、運動選手、お年寄り、子供に適した食材とされている。
水牛の肉は古代ローマ時代から食べられていたが、ここ数十年はすっかり忘れ去られていた。
その一方で、水牛のミルクから造られるモッツァレッラは、引く手あまたの人気者だ。
モッツァレッラ造りに必要なのは雌の水牛だけなので、雄は、繁殖用に選ばれた幸運なもの以外は、生まれるとすぐに殺されてしまう。
水牛の肉を食べたいと思っても、手に入るのは、年を取って仕事を終えた雄の水牛の元気のない肉だけだった。
そのような状況が変わったのは、ナポリ大学の獣医学部の指導と、EUやカンパーニア州の投資で、水牛の肥育事業が近代化されたおかげた。
水牛は、生後約14〜15月齢になって、体重が400sになったものだけを肉にするようになった。
餌も、ミルク用の雌とは違って肉用の雄には小麦や薬草を、半分放し飼いの状態で与える。
元々水牛は野生の状態を好むので、人間がコントロールしにくい動物だ。
水牛肉は牛肉とまったく同じように調理することができる。
ただしわずか2万頭、肉にして6000トンという生産量では、イタリア国内の肉の消費量の0.01%にしかならない。
そのため値段は1sあたり最低15.5ユーロと高価だ。
“イタリアのマグロ料理”
『08/09年5月号』
記事:tonno d'Italia雑誌:『La Cucina Italiana』
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タイセイヨウクロマグロは、絶滅の危機にあります。
シチリアとサルデーニャのマグロ漁で有名な島では、10年ほど前までは、捕れたマグロは日本人が買い占めていました。
しかし、昨今の寿司ブームは、イタリア人のマグロの食べ方にも変化をもたらしました。
島以外にも、イタリアのティレニア海に面した地方では、昔はマグロが捕れたので、伝統的なマグロ料理が残っています。
おそらくそれも、マグロと共に消えていく運命にあるのでしょう。
約7年前、マグロ漁が大きな転換期を迎える直前の貴重なリチェッタです。
“マグロ、メカジキ”
記事:tonno e pesce spada
雑誌:『La Cucina Italiana』
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シチリアとサルデーニャのマグロ漁で有名な島では、10年ほど前までは、捕れたマグロは日本人が買い占めていました。
しかし、昨今の寿司ブームは、イタリア人のマグロの食べ方にも変化をもたらしました。
島以外にも、イタリアのティレニア海に面した地方では、昔はマグロが捕れたので、伝統的なマグロ料理が残っています。
おそらくそれも、マグロと共に消えていく運命にあるのでしょう。
約7年前、マグロ漁が大きな転換期を迎える直前の貴重なリチェッタです。
“マグロ、メカジキ”
『08/09年5月号』
記事:tonno e pesce spada雑誌:『La Cucina Italiana』
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毎年5月に入ると、イタリアで急に注目されるようになる食材はマグロ。
5月から6月は料理雑誌にもマグロ料理の記事が続々登場します。
マグロが産卵のために大西洋から地中海にやってくるのです。
この間、マグロ漁は最盛期に入り、タイセイヨウクロマグロが一年で一番美味しい季節が始まります。
5月から6月は料理雑誌にもマグロ料理の記事が続々登場します。
マグロが産卵のために大西洋から地中海にやってくるのです。
この間、マグロ漁は最盛期に入り、タイセイヨウクロマグロが一年で一番美味しい季節が始まります。
“リジ・エ・ビジ”
『07/08年4月号』
記事:risi e bisi雑誌:『Vie del gusto』
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4月25日はヴェネチアの守護聖人、聖マルコの祝日。
この日に欠かせない料理がグリーンピース入りの米料理、リジ・エ・ビジだ。
この日はヴェネチア中でこの料理を作ったので、グリーンピースが品薄になるほどだった。
この日に欠かせない料理がグリーンピース入りの米料理、リジ・エ・ビジだ。
この日はヴェネチア中でこの料理を作ったので、グリーンピースが品薄になるほどだった。
“アッバッキオ・アッラ・ロマーナ”
『07/08年4月号』
記事:abbacchio alla romana雑誌:『Sale & Pepe』
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ローマ料理のシンボル的な食材、アッバッキオの旬は春。
ローマ料理に欠かせないもう一つの食材、カルチョーフォ・ロマネスコと共に、ローマの市場に出回る。
草を食む前の乳飲みの子羊の柔らかくてマイルドな味を活かした調理方法と、大型で棘がないカルチョーフォ・アッラ・ロマーナを紹介。
“パスタ・アッラ・ノルマ”
記事:La pasta alla norma
雑誌:『Sale & Pepe』
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“スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ”
記事:Spaghetti alle vongole
雑誌:『Sale&Pepe』
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ローマ料理に欠かせないもう一つの食材、カルチョーフォ・ロマネスコと共に、ローマの市場に出回る。
草を食む前の乳飲みの子羊の柔らかくてマイルドな味を活かした調理方法と、大型で棘がないカルチョーフォ・アッラ・ロマーナを紹介。
“パスタ・アッラ・ノルマ”
『07/08年7月号』
記事:La pasta alla norma雑誌:『Sale & Pepe』
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シチリアはカターニアの名物パスタ。
カターニア生まれの大作曲家、ベッリーニの有名なオペラの名前がつけられました。
“ノルマ”には、もう一つ別の意味もありました。
至高のものという意味です。
カターニアの人には、ベッリーニもノルマ風パスタも、同じくらい自慢なんでしょうね。
主役のなすは塩をしっかり振って灰汁と水分を出して、苦味を取ってカリッと揚げるのがポイント。
カターニア生まれの大作曲家、ベッリーニの有名なオペラの名前がつけられました。
“ノルマ”には、もう一つ別の意味もありました。
至高のものという意味です。
カターニアの人には、ベッリーニもノルマ風パスタも、同じくらい自慢なんでしょうね。
主役のなすは塩をしっかり振って灰汁と水分を出して、苦味を取ってカリッと揚げるのがポイント。
“スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ”
『08/09年6月号』
記事:Spaghetti alle vongole雑誌:『Sale&Pepe』
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スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレはナポリの定番パスタ。
イタリア料理の基本中の基本のパスタのウンチクを、
古代ローマの偉人やフランスの文豪まで引き合いに出して語るイタリアならではの記事。
ヴォンゴレはロッソとビアンコだけでなく、ロザーテもありました。
イタリア料理の基本中の基本のパスタのウンチクを、
古代ローマの偉人やフランスの文豪まで引き合いに出して語るイタリアならではの記事。
ヴォンゴレはロッソとビアンコだけでなく、ロザーテもありました。
クレアパッソ tel: 045-583-3381/e-mail: mail@creapasso.com